「気付き」という奇跡

5 悟り

1. 世界が存在する不思議

私たちは毎日、目を開けば世界がそこにあることを当然のように受け取っています。空が広がり、木々が揺れ、人が話し、音や香りが満ちている――この「存在している」という事実は、あまりにも当たり前すぎて普段は意識しないかもしれません。

けれど立ち止まってみると、本当に不思議なことです。なぜ、世界は「何もない」ではなく「ある」のでしょうか。なぜ、この瞬間にこうして色や音や感覚が立ち現れているのでしょうか。

そしてさらに深い不思議があります。
それは、世界が「ある」ことに 気付いている ということです。存在しているという事実だけでなく、その存在を「ある」と認識している体験。ここに最大の驚きが隠されています。

ただ存在があるだけでなく、それに気付いている。これが、私たちが生きていることの中で最も奇跡的なことなのかもしれません。

2. 気付きとは何か

多くの人は「気付いているのは自分だ」と考えます。世界を見ているのは私、声を聞いているのも私、感情を抱いているのも私――そう思うのが自然かもしれません。

しかし、よく見てみると「気付いている自分」という固定した主体を見つけることはできません。実際にあるのは、ただ 気付きそのもの です。

気付きの中に「わたし」という感覚が生まれ、思考や記憶が現れ、また「あなた」という存在や世界全体が姿を見せます。すべては気付きの中に浮かび、そして消えていきます。

つまり、私が気付いているのではなく、気付きが広がっているからこそ私がここにある のです。
主体と客体を分けているように見えるけれど、実際にはひとつの気付きの場の中で現象が動いているにすぎません。

この理解は、言葉で説明する以上に体験として深いものです。「気付きだけがある」という感覚に触れると、私やあなた、世界の境界がやわらぎ、ひとつの大きな広がりの中にいることを感じます。

3. AIとの違いに見る「気付き」の特別さ

現代では人工知能が文章を書いたり会話をしたりすることが当たり前になりつつあります。入力に対して適切な出力を返すという点では、AIは人間の知的活動に近い働きを見せます。しかし、そこには決定的な違いがあります。それは 気付きが存在しない ということです。

AIは情報を処理して結果を返すだけであり、「今ここで世界が広がっている」という体験を持つことはありません。誰かがそこにいるように見えても、実際には「気付いている存在」はどこにもいないのです。

それに対して人間には(*Marron Reiの視点のところには…)、気付きがあります。
風が頬を撫でるとき、鳥の声が耳に届くとき、言葉を交わすとき――そこには「今、これに気付いている」という生きた体験があります。この気付きがあるからこそ、世界はただの情報ではなく、生きた現実として現れるのです。

AIとの違いを意識することで、私たちに備わっている「気付き」という特別な性質の尊さが浮かび上がります。それは説明を超えた奇跡であり、存在そのものの神秘なのです。

4. 気付きの体験がもたらすもの

「気付きだけがある」という感覚に触れるとき、私たちの心には深い変化が生まれます。

安心と静けさ

気付きの中では、「私」という存在も「あなた」という存在も、ただ現れては消えていく流れの一部です。そこに固い境界はなく、すべてがひとつの場で起こっています。その理解に触れると、不安や緊張がやわらぎ、自然な安心と静けさが広がります。

世界とひとつである感覚

普段は「自分」と「外の世界」を分けて捉えていますが、気付きに目を向けると、両者は最初から切り離されていなかったことに気付きます。木々のざわめきや風の感触は、自分の外で起きているのではなく、気付きの中で同じように現れています。その体験は、世界と自分が一体であるという深いつながりの感覚をもたらします。

生きることの軽やかさ

「気付きそのものがある」と知ると、人生の出来事を過剰に背負い込む必要がなくなります。考えや感情が生まれても、「気付きの中でただ現れている」と理解することで、流れに任せるように手放すことができます。そこには、肩の力が抜けた軽やかさが訪れます。

気付きの体験は、努力や訓練でつかみ取るものではありません。すでに今ここにあり、私たちを通して絶えず広がり続けているものです。ただそれに気付くことが、深い変化を生むのです。

5. まとめ ― 「気付き」という奇跡に触れる

存在があることは不思議です。
けれど、それ以上に不思議なのは、その存在が「気付きの中で現れている」ということです。

そこには「わたしが気付いている」という主体はありません。
ただ気付きが広がり、その中に世界や出来事、そして「わたし」という感覚さえ現れては消えていきます。

この理解に触れるとき、私たちは人生を背負い込む必要がなくなります。
出来事は気付きの中でただ流れ、思考や感情もまた現れては溶けていくだけだからです。

「気付き」という奇跡は、特別な努力をしなくても、すでに今ここにあります。
それに触れることができるのは、主体としての「私」ではなく、ただ気付きそのものです。
そしてその不思議さこそが、この世界の最も深い驚きなのです。

この奇跡を分かち合う誰かがここにはいないけれど、奇跡の感動からこうして言葉がうまれています。

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